PEOPLE 人と暮らし

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My White Life vol.10

My White Life WHITE LIFEを象徴する人々とTシャツの関係

YUKI 「HÜBNER」メッセンジャー YUKI 「HÜBNER」Messenger

人とのコミュニケーションを大事にしながらもう一度、メッセンジャーとして生きる。

人の手から、人の手へ。YUKIさんが自転車を使って荷物を運ぶ仕事=メッセンジャーを職業にして、早10年。メッセンジャーという仕事が彼女の人生の道を作ってきた。ペダルを踏み込むごとに待ち受けている様々な経験。自転車とともに、今も尚、その道を走り続けている。

「自転車は、元から好きだったんです。ママチャリで京都から東京まで行ったこともあるし、自分の力でコントロールできて遠くまで行けるということが面白かった。私は美術大学へ通っていたんですが、あまり身体を動かしていなかったこともあり、動かしたいという気持ちがあり自転車に乗っていたんです」

メッセンジャーという存在を知る前、YUKIさんは美大でメディアアートを専攻し、打ち込み系の現代音楽を作っていた。そんな時に、先輩のギャラリーで働いていた人が、週に何日かメッセンジャーの仕事をしていることを知り、初めてメッセンジャーという仕事を知る。

アルバイト募集を見てメッセンジャーのバイトをスタートするも、やがてコアなメッセンジャーたちが集まった「CYCLEX」に所属したYUKIさんは、メッセンジャーの世界選手権(CMWC)のこと知り、更にメッセンジャーの仕事にのめり込むように。そして表現の場をメッセンジャーの仕事へと見出していった。

世界大会『CMWC』で出合ったメッセンジャーの表現の可能性

「音楽をやっていた時、クラフトワークの自伝を読んでもの凄く影響を受けていたんです。ロードバイクに乗って、スタジオにも自転車があってと。それと2005年にニューヨークのCMWCを観に行った時に、MADSAKIさんの絵を観て、メッセンジャーの人でこんな絵を描ける人がいるんだと驚いて。その時にメッセンジャーの仕事を通じて、自分がアートで表現をしたかったことができるのではないかと感じたんです」

表現の場を見出したYUKIさんは、勢力的に活動を開始する。ほとんど男しかいないメッセンジャーの世界で、彼らと肩を並べて街を走り、そして数々の世界大会にも出場。2011年にワルシャワで開催されたCMWCの際には、大会の前にマドリッドからワルシャワまで3,000キロの道のりを女友達と2人で自転車で走ったり、中でも2010年にグアテマラで開催された大会は、YUKIさんにとって思い出深いものだったそうだ。

「CMWCの主催者がグアテマラの国境の近辺で生まれたそうで、大会をいつかそこでやりたいと言っていたそうなんです。街の人たちは、見たこともない自分たち(メッセンジャー)を快く良く受け入れてくれて、その時に行ったアートのコーナーがとても良かったんです。街にひとつだけある小学校で、子供たちにクレヨンを渡して自転車の絵を描いてもらったんですが、ドロップハンドルなど私たちが乗っている自転車の絵を描いてくれて。大会が終わった後、街にメッセンジャーが誕生したんですよ。素晴らしいことだなと思いました」

自転車をこよなく愛する者として、覚悟を決めて再び走り出す

そんな東京を代表する紅一点のメッセンジャーとして大活躍していたYUKIさんだったが、2012年のシカゴでの世界大会出場を機に疑問を感じるようになる。大会がスタートする直前に自転車がパンクをしてしまい、ルールを聞けなかったこともあり、大会ではさんざんな目に。その時に「これは”辞めろ”ということなんだろうな」と思ったそうだ。それだけでなく、日本の交通事情の中での一部のメッセンジャーたちの走り方にも疑問を感じていたYUKIさんは、メッセンジャーを辞めることを決意し、全く自転車に乗らなくなってしまった。

「辞めている間は自転車には一切乗らず、電車で移動をしていました。その間、ブリトー屋だったり、女のコたちとバンドを組んだりしていたんですが、辞めている間に凄く感じたことは”コミュニケーションをもっと高めよう”ということでした。人とのコミュケーションをもっときちんととっていけば、究極なところ戦争も起こらなくなるかもしれない。そんなことを考えるようになっていったんです」

自転車を愛して止まないYUKIさんは、昨年8月に新たな気持ちでメッセンジャーとして復活を果たした。

「かつての仲間が、新しく会社を立ち上げるということで誘ってくれたんです。その時に思ったことは、走るのであれば、覚悟をしなくてはならないということでした。今までのことを一度すべてリセットして、本当に大切なことをメッセンジャーとし伝えることができるか。そんなことを思いながらまた走り始めました」

現在YUKIさんは、”コミュニケーション”をテーマに「HÜBNER Bike Messenger」に所属し、過去の経験を元に、新しい気持ちで仕事に向き合っている。

「コミュニケーションを大事に仕事をするようになってから、それまでお客さんの中では頼みづらかったことも頼まれるようになりました。ワンちゃんのトリマーへの送り迎えや、撮影現場へのコーヒーのデリバリー、おむすび屋さんが作ったおにぎりを運ぶこともするようになったり。作った人の思いも届けられるようになれたらいいなと思っています」。

互いをサポートする気持ちがいつしか絆になり、そして信頼へと繋がっていっているようだ。そしてもうひとつ、これからの日本のメッセンジャー業界の未来を考えることも忘れていない。

「メッセンジャーの仕事に憧れる若い人たちが、長く続けていけられる道を作っていけたらいいなと思っています。オリンピックが決まって、これから東京も変わっていくと思うんです。その中で、メッセンジャーは危ない運転をするイメージがあるのかやり玉にあげられやすい。お客さんに安心してもらうためにも、そのイメージを変えていかなくてはいけないし、マナーを守るということは絶対ですね」

それも人間が社会で生きる、コミュニケーションのひとつ。明るい未来を目指し、YUKIさんは今日もペダルを踏む。

YUKI(小川有紀)

メッセンジャー。武蔵野美術大学在学中はメディアアートを専攻。卒業後、デザイナーを経て、2005年よりメッセンジャーの仕事に付く。(株)メッセンジャー、CYCLEXを経て、現在はHübner Bike Messengerに所属し活動中。これまでに世界各国のメッセンジャーレースに参加するなど、日本を代表するメッセンジャーとして活躍。また打ち込み系の音楽アーティストとしても活動をする傍ら、現在はガールズバンドでも活動中。自転車はWBASEよりサポートを受けている。http://www.hbm.tokyo

(写真 松本昇大 / 文 吉岡加奈)

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